sakubun by chris
 
 

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自分史

レスニククリス、岡崎、2004の秋

私が生まれたのはスイスの中で小さいHORGENという町だ。一さいの時、父が事故で亡くなったのに、母や母の新しパートナーや兄弟と普通にくらした。

いつでもいい学生だったから、チューリヒ大学で英語とジャーナリズムを勉強した。卒業しないで、大学を中退して、IT関係の会社で働き始めた。給料も良かったし、好きな音楽もやれたし、遊び時間もあ ったし、くらしやすいだ。独身の間に、日本に留学をしようと思ったから、日本へ行って、YAMASAという学校で勉強していた時に、今の妻に会った。

卒業してから、妻と台湾へ引越しして、自分のパソコン関係の会社を設立した。それは2005年のことだったのにまだくわしく思い出せる。

あいにく、2012年に中国と台湾の間でぼっ発した戦争でスイスに引越ししなければしなかった。子供たちと妻にはとても大変だったのに、一緒にがんばっていたので新しい家が建てられた。

戦争で私の会社もこわされた、スイスでもう一回会社を作ってみたが、しきんが少なすぎて、できなかった。だから、家族と同じ町に住んでいる台湾の人達を助ける仕事を始めた。その仕事は大体ボランティアの仕事で、給料が少ないが、社会のとって大切な仕事だ。何年間もよく台湾人と遊んでいたから、だんだん中国語が分かるようになって、簡単な会話が話せるようになった。

今の生活を若いころと比べて、考えると、あの時は誰も中国と台湾の間に戦争がぼっ発すると思わなかったからあ んまり何も持たない戦争から逃げたがみんなまだ生きていてよかった。私の音楽家になる夢はかなわなかったが、もういいと思う。

けっこうしげきできて、色々な事ができた生活だった。お金持ちにならなかったのに、今とても幸せだ。笑。^_^